空いている手があれば2011年03月12日 20時03分58秒

かける言葉が見つかりません。
遠くから祈ることしかできません。

がんばれ!

命をかけて仕事に向かっている人、
お願いします。
たくさんの命を救ってください。

あなたに力がみなぎりますように!

肝心な話2009年04月09日 12時04分04秒

勝手に師と仰いでいる人がおります。
先日、その方のお話の中で、
「7人の諫人を作れ」
という言葉がありました。
上に立てば立つほど、必要なことなのだそうです。

諌められると、腹が立つそうです。
普通はそれで人を遠ざけて、諫言ではなく甘言を言う輩を取り巻きにするようです。

上に物申すときは、覚悟がいります。

そう言えば何年も前に、遠ざけられて、腐っているところで、古くからの友人に、
「腐っている暇があって、うらやましいよ。ま、短気を起こすな。黙れって言われたんだったら、黙っておけよ。おまえにそれだけの力量も信頼もないんだから」
「あんたに言われたくない」
「おまえも、上にこんなふうに余計なお世話を言ったんだろ、覚悟を決めて。その程度の会社で」
「ああ、だからこのざまだ」
「だったら、どんな仕事であろうが今の仕事を黙ってしっかりこなせよ。不平不満をいつまでも引きずるな。黙ってしっかりやってるやつに迷惑だろ」
「くそったれ。わかったよ」

わたしが自棄を起こそうとすると、かならず腹の立つことを言う人が出てきます。諫人だと思えば財産ですね。

でも単なる閑人だったりして。

福沢桃介って?2009年03月28日 11時01分26秒

鬼才 福沢桃介の生涯
『鬼才 福沢桃介の生涯』
浅利佳一郎 著
NHK出版

ある問題でちょっと気になったことがあったので経緯を調べていたら
福沢桃介という名前が出てきた。
で、桃介については福沢諭吉の養子ということしか知らなくて
ちょっと読んでみた。
浅利さんは桃介の側から書いているので割り引いて読んだほうがいいとは思うのだが、桃介はまあとても魅力的な人物である。
言っちゃあ悪いが、田舎で立身出世を夢見る心優しい青年がひょんなことから運をつかんで、
明治の名だたる人の中で青年の個人的純情さで苦悩したり挫折したり
とても天下・国家・企業をまかせるに値しない甘ちゃんだったり
突然目の付け所が国家百年の計になったり
とにかく振幅が激しいのだ。
言動と行動と回顧、他人からの評価が一貫性がなく巨人と呼ばれるようなあくの強さもない。
才能も運もあるのに、人に嫌われないよう(特に諭吉に対して)に細心の努力を払って、やりたいことが全部中途半端になってしまうのだ。

諭吉が死んだ後、桃介は誰に遠慮することなく相場に没頭し、金の亡者のごとき買占め乗っ取りを始めていくのである。

浅利氏は桃介夜話から引用した上でこう書いている。

”桃介はリストラをきっぱりと否定したのだ”(本書13ページ)
”桃介の経営哲学の基本は安い給料でも一生懸命に働く正直者の社員がいてこそ、その会社は発展し続けるのであって、高給をとるごますり社員は何人いても一つとして会社の役には立たないという理論だ”(本書14ページ)

ね、桃介ってこれだけでもどんな人か知りたくなるでしょ。

日本の電力王と呼ばれた『鬼才 福沢桃介の生涯』、面白い本でした。

猛吹雪2008年12月26日 23時01分11秒

本日は大荒れである。
昨日まで地面が見えて、道路は運転しやすかった。
取引先へ年末の挨拶に伺い、
「経済環境は厳しくなりそうですが、おだやかな年の瀬で」
などと言っていたのが、前も見えないほどの猛吹雪だ。
確かに天気予報では、荒れる、と言っていたはずである。

「あと一両日で、工場は年末年始の休暇に入る。それまでこのおだやかな天気が続いてくれれば楽なんだけど」

ぬるま湯の中での怠惰が危機管理意識を低下させて、
今が、本来であれば厳しい冬の始まりの時期であるという現実を、
認めたくなかっただけのことだ。
「何とかこのままいけるんじゃないの」と。

さて、猛吹雪になると普段よく知っている道が、まったく見えなくなる。
信号機も見えない。
ぶつからないように慎重になるのは仕方がないが、
恐怖のあまり慎重になりすぎれば立ち往生してしまう。

燃料の残りは?

いがみ合って先を争ったり、無謀な高速走行は危険である。
だからといって自分の道を勝手に作って走るのは、冬の間はいいが雪が溶けたあとは元の道に従わなくてはならなくなる。

譲り合って相手を思いやることが、マクロ的には猛吹雪による渋滞を早く抜け出す最良の方法だと思う。
他の車をどこまで信じられるか?

吹雪はおさまっても道は真っ白い雪の下。
地面はまだ見えない。
でも雪はいつか溶ける。
猛吹雪で真っ白になった世界の下には、いつも見慣れていた道が、確かにあるのだ。
春は必ず来る。

経済はどうだろう。
なんとかこのままいけるのか。
商いのやりかたは昔から変わらないはずだが。
わたしは、うーん。
どうだろう。

小さなつづら2008年12月19日 12時22分38秒

先日、お師匠さん(わたしが勝手に人生の師だと思っている元の上役)と飲んだ。
悠々自適とはいえ、経済・社会・国際情勢に明るく、あいかわらずいろいろなことに造詣が深い。
飲んでいるときに、自分の進む道を選ぶ基準についての話になった。
師匠は選ぶときにおおかたの人が損だと思うだろうほうを選んできたという。
「なぜですか」って、聞くと
「得だなって思うほうを選んでうまくいくのは当たり前だろ。損だと思ったほうを選べばうまくいかなくて当たり前。うまくいけば」
「あ、そうか。もしうまくいったら、それは自分の実力ですからね」
師匠はしょうがないなという顔をして、
「うまくいったら、それは選び方がまずかったのさ。損になるほうを選ばなかったんだから」
「うーん、そうです、か」
「どんなときでも普通の人間は自分の持っている力を目一杯出すものだと思うが、損であろうが得であろうが。木の目は得だと思うときしか力を出さないのか?」
いつもこういうアイロニーをぶつけてくる。
答えに窮していると、
「おい木の目、俺の奥さんにはいまの損得の話いうなよ」
「は?」
「損なほうを選んだのね、といわれると、まだちょっと困るからな」
と、師匠が笑った。

舌切り雀を思い出した。