師匠2012年05月13日 17時29分26秒

勝手に師と仰いでいる人が二人いる。
江戸におられる師匠とは、昨年秋に京都で会うことが流れて、それ以来疎遠である。
わたしはやることなすこと中途半端で、始めることができてもきちんと完成させられない。
江戸の師匠は3ヶ月くらいしか待ってくれない人だが、それでも今回は完成するのを二年かけて待ってくれていた。
愛想を着かされるのも当たり前である。

もう一人の師匠は、当蝦夷地にいてかつての上司である。
暖かくなったらまた飲みましょうと約束していたので、連休前にメールを送ったのだが、返事が無かった。
5月7日に会社で、メールを送った前の日に師匠が亡くなっていたことを聞いた。
ずっとわたしの作品が完成するのを待ってくれていた。
半完成品を見せたとき、「きのめのは誤字脱字ばかりだな、きちんとしたやつ、俺が生きているうちに完成させろよ。でもまあ無理だな。俺の予測どおりにいつも期待はずれだからな」
師匠は2年ほど前から胃がんで、それでも会えば気にするなと言っては一緒に飲んでくれていた。
昨年会ったときには「死んでも連絡は行かないからな」と笑っていた。
そりゃ死んだら連絡できないですよ、と憎まれ口を叩いて別れた。
じゃあな
それっきりである。

今日、江戸の師匠の奥さんから電話があった。
師匠と代わってくれた。
元気である。胸をなでおろした。
「あんたはどうしているか知らんが、俺は勉強を続けててね。詩集、今年二冊目を出すよ」
うるさがれても、完成品ができてなくても、会いに行こうと思った。

出会いもあれば2009年04月03日 12時25分15秒

新年度が始まった。

新しい出会いがあれば、別れもある。
感謝をもった別れもあれば、悔いの残る別れもある。

正直な話、新人にかける言葉を失っている。
期待に胸を膨らませて見知らぬ場所に飛び込んでいく人がいる。
その一方で、不安や厭戦のわだかまりを抱いての始まりもある。

がんばれ。いや、がんばるな。
どちらなんだろう。

下の子の入学式や学芸会のときに何度か顔を合わせただけだが、
子煩悩で責任感の強そうな快活な人である。

奥さんと四人の子どもの前で、見知らぬ世界へ旅立った彼の写真が笑っている。

贈り物2008年12月23日 12時06分12秒

あなたに贈り物があるんだ。

わたしがたとえ
金持ちであっても貧乏人であっても
才能があろうが無かろうが
健康でも病気でも
若いときでも老いても
贈ることができるものは
いつも変わらない。

形のあるものではないよ。
物は贈らない。

贈り物は
わたしとの思い出。
役に立つかどうかもわからない。
あなたにはいらないものかもしれない。
だから、受け取らなくてもいいんだ。

あなたに贈ることが
わたしにとって宝物。

あなたとわたしの間にある、思い出。
あなたからの贈り物。宝物。

第35話 合掌2006年08月31日 06時00分27秒

さる8月3日に小田豊四郎氏が亡くなった。
六花亭の創業者。
1949年から児童詩「サイロ」の発刊に尽力。
お会いしたことはないが、児童書やいろいろな書物に取り上げられている方なので、古くからの知り合いのような気になっている。
享年90歳。
大往生とは思うのだが、老いてますます元気だと人づてに聞いていたので驚きも悲しみも大きい。
合掌