総理大臣の辞任 ― 2007年09月13日 13時07分27秒
テレビ局、燃えてます。
上に立っちゃいけないものの悲劇だよなぁ。
当事者は真剣なんだろうけど、
はたから見れば観客に受けないコントを見てるようで。
そういう意味でも悲劇、です。
金使って見続けさていただいてます。
見なきゃいいんだけどさ。
でも、これから責任をとろうと思ってる人や辞任しようと思ってる人、
「まるで安倍の晋ちゃんみたいだね」って言われるんだろうな。
やめるにやめられない。
つらいなあ。
散り際の美学が。
美しい日本が。
で、新聞社のサイトを見ていた。
東京新聞が面白い。
9月13日09:00amのホームページのトップが
「さよなら!晋ちゃんまんじゅう 荒川区の菓子会社、対応に追われ」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20070913/CK2007091302048393.html
いいなぁ。
責任がどうのこうのじゃなくて、
”「記念に買い求める人がみえて、いつもより売れています」と予想外の反応に驚いた様子だった”(東京新聞記事より)
だよ。
ほかの新聞社のサイトは国政のあわてぶりを書いてるけど、
そんなエライ人たちのことって、おいらには関係ないから。
「そうか、おまんじゅうやさん、これからたいへんだろうな」って、
こっちのほうがずっと共感できるよ。
ありゃま。トップが入れ替わってる。首相の入院に。東京新聞さーん。
さて、と。
上に立っちゃいけないもの悲劇か。うーん、どうしましょ、ご同輩。
上に立っちゃいけないものの悲劇だよなぁ。
当事者は真剣なんだろうけど、
はたから見れば観客に受けないコントを見てるようで。
そういう意味でも悲劇、です。
金使って見続けさていただいてます。
見なきゃいいんだけどさ。
でも、これから責任をとろうと思ってる人や辞任しようと思ってる人、
「まるで安倍の晋ちゃんみたいだね」って言われるんだろうな。
やめるにやめられない。
つらいなあ。
散り際の美学が。
美しい日本が。
で、新聞社のサイトを見ていた。
東京新聞が面白い。
9月13日09:00amのホームページのトップが
「さよなら!晋ちゃんまんじゅう 荒川区の菓子会社、対応に追われ」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20070913/CK2007091302048393.html
いいなぁ。
責任がどうのこうのじゃなくて、
”「記念に買い求める人がみえて、いつもより売れています」と予想外の反応に驚いた様子だった”(東京新聞記事より)
だよ。
ほかの新聞社のサイトは国政のあわてぶりを書いてるけど、
そんなエライ人たちのことって、おいらには関係ないから。
「そうか、おまんじゅうやさん、これからたいへんだろうな」って、
こっちのほうがずっと共感できるよ。
ありゃま。トップが入れ替わってる。首相の入院に。東京新聞さーん。
さて、と。
上に立っちゃいけないもの悲劇か。うーん、どうしましょ、ご同輩。
青い空 ― 2007年09月13日 10時33分55秒
青空が高い。
とんぼがつがいで飛んでいる。
熱気の中にひんやりとした風が過ぎる。
もがいていた若いころを思い出す。
くっついて飛んでいる姿すら嫉妬する自分に苛立っていた。
そんなこともあったねと、とんぼは悠然と目の前を飛ぶ。
経てきた人生を否定されることがある。
若いころは否定を拒否して腹を立てた。
自分はそうじゃない、おまえに何がわかる。
いまは折り合いをつけようとする自分に苛立っている。
時が移ろっただけで何も変わってないんだよ。
公園の横を自転車に乗った高校生の一団が通り過ぎていく。
男の子も女の子も夏の制服から熱気が溢れている。
僕はベンチから立ち上がって、スーツの皺を気にした。
とんぼはあとからあとから飛んでくる。
見上げると青い空に飛行機雲がまっすぐの白い一本線を描いてる。
ふきのとうの風来坊を口ずさみながら公園をあとにした。
とんぼがつがいで飛んでいる。
熱気の中にひんやりとした風が過ぎる。
もがいていた若いころを思い出す。
くっついて飛んでいる姿すら嫉妬する自分に苛立っていた。
そんなこともあったねと、とんぼは悠然と目の前を飛ぶ。
経てきた人生を否定されることがある。
若いころは否定を拒否して腹を立てた。
自分はそうじゃない、おまえに何がわかる。
いまは折り合いをつけようとする自分に苛立っている。
時が移ろっただけで何も変わってないんだよ。
公園の横を自転車に乗った高校生の一団が通り過ぎていく。
男の子も女の子も夏の制服から熱気が溢れている。
僕はベンチから立ち上がって、スーツの皺を気にした。
とんぼはあとからあとから飛んでくる。
見上げると青い空に飛行機雲がまっすぐの白い一本線を描いてる。
ふきのとうの風来坊を口ずさみながら公園をあとにした。
ゴロゴロ発見!(第19話) ― 2006年05月14日 20時46分26秒
ゴロゴロがうちの庭に遊びに来た。
たくさんいるぞ。
こんなとこにも
お、母の日にも
にせものかもしれないけど、けっこうかわいい。
たくさんいるぞ。
こんなとこにも
お、母の日にも
にせものかもしれないけど、けっこうかわいい。
第5話へちま亭と文章塾 ― 2006年03月09日 23時00分44秒
1970年代後半から1980年代前半、少年から大人に向かう多感な時期に「群像」はぼくらのあこがれだった。社会が新しい表現に飢えていた気がする。修辞のよさではなく、若いみずみずしい「感性」にぼくらは共感した。「ぼくらにも手が届くかもしれない」というはかない夢を見てた時期でもある。
社会に出ると同時に夢を一箱のダンボールに閉じ込めた。出さずに終わった未完の原稿たちが、「ぼくら」のパンドラの箱につまったまま、まだ手もとにある。その中の十編ほどが、あるとき、そう最初の会社で社会人の夢を失ったとき、ショートショートコンテストや新作落語の応募に希望と一緒に出てていった。そのあと箱をガムテープでぐるぐる巻きにした。
2004年4月にASAHIネット主催の「私のコラム・へちま賞」に、今の会社での一こまを書いて応募した。へちま亭が1000回で終わり、公私ともにいろいろなことが残念でしょうがない時期だった。公募で入賞したのは生まれて初めてのこと。おかげでそのあとの理不尽な出向を割切ることができた。
それでも2005年6月には仕事も与えられず、仕方がないので工場内の清掃やヤードの鋼材とかスクラップの片付けをやっていたが、気持ちは自暴自棄になるばかりだった。そのときに「へちま亭サロン」で文章塾が開催され、
最初の社会人の夢を失ったときのことを書いて応募した。優秀賞をいただいたときには、人のいない夜の工場で、大声で吠えた。
自分の考えをわかりやすく正確に相手に伝える。バーバラ・ミントのテキストで始まった「へちま亭サロン文章塾」は目からうろこが落ちるものだった。自分の思いを書くことによって、今までの自分に欠けていたものが、少しずつわかってきた。仕事に対して、人に対して、家族に対して、文章に対して、そして自分に対して。
「へちま亭文章塾」ではブログのおかげで実戦形式の文章が書けるようになってきた。相手にどのように伝えるか、ほかの人にはどう伝わったか。そして書き手の文章をどう読むか、ほかの人はどう読んだか。文章は武器にもなるし人を救う神の手にもなりうるのだ。そう、書くということは自分の夢をかなえる、「ぼくら」の魔法の杖なのだ。ブログへちま亭文章塾は今のわたしのあこがれだ。もう一度、箱を開けよう。夢は箱の中ではなく、いつもわたしとともに、ここにある。
社会に出ると同時に夢を一箱のダンボールに閉じ込めた。出さずに終わった未完の原稿たちが、「ぼくら」のパンドラの箱につまったまま、まだ手もとにある。その中の十編ほどが、あるとき、そう最初の会社で社会人の夢を失ったとき、ショートショートコンテストや新作落語の応募に希望と一緒に出てていった。そのあと箱をガムテープでぐるぐる巻きにした。
2004年4月にASAHIネット主催の「私のコラム・へちま賞」に、今の会社での一こまを書いて応募した。へちま亭が1000回で終わり、公私ともにいろいろなことが残念でしょうがない時期だった。公募で入賞したのは生まれて初めてのこと。おかげでそのあとの理不尽な出向を割切ることができた。
それでも2005年6月には仕事も与えられず、仕方がないので工場内の清掃やヤードの鋼材とかスクラップの片付けをやっていたが、気持ちは自暴自棄になるばかりだった。そのときに「へちま亭サロン」で文章塾が開催され、
最初の社会人の夢を失ったときのことを書いて応募した。優秀賞をいただいたときには、人のいない夜の工場で、大声で吠えた。
自分の考えをわかりやすく正確に相手に伝える。バーバラ・ミントのテキストで始まった「へちま亭サロン文章塾」は目からうろこが落ちるものだった。自分の思いを書くことによって、今までの自分に欠けていたものが、少しずつわかってきた。仕事に対して、人に対して、家族に対して、文章に対して、そして自分に対して。
「へちま亭文章塾」ではブログのおかげで実戦形式の文章が書けるようになってきた。相手にどのように伝えるか、ほかの人にはどう伝わったか。そして書き手の文章をどう読むか、ほかの人はどう読んだか。文章は武器にもなるし人を救う神の手にもなりうるのだ。そう、書くということは自分の夢をかなえる、「ぼくら」の魔法の杖なのだ。ブログへちま亭文章塾は今のわたしのあこがれだ。もう一度、箱を開けよう。夢は箱の中ではなく、いつもわたしとともに、ここにある。
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