一期一会2011年07月25日 13時00分50秒

会ったことのない友人がいる。
会話もネットの中で交わしただけにすぎない。
俺たちは、ジョン・マクレーンでもなければアル・パウエルでもない。
第一、俺のほうは仕事はとろいし、偏屈で能書きタレで嫌われてばかりいる。
でも、あいつはかっこいい。
たしかにヒーローでもなければ救世主でもない。
人を助けることなんかできない。そんなこと、よく知っている。
傍観して誰かを批判している自分を腹立たしく思っているだけなんだ。

俺もお利口さんじゃないものだから、やみくもに走っては
「ばっかじゃない」とせせら笑われて、またとんちんかんな方向に駆け出す。
怒り。腹立たしさ。やりきれなさ。
誰かや何かにぶつけてはいけないのだ。
で、次の時代をどう作っていく?

「け、そんなの俺の背中を見ていろ」
あいつの声が聞こえるようだ。

よっぱさん、あなたが選んだもの、しっかりいただいた。
ありがたし。
旨し。
ごっつぉさま!

皆様、ありがとうございます2009年05月12日 21時07分19秒

文章塾に参加されました皆様、ありがとうございます。
ええ、次回第35回が最終回となります。
投稿されたすべての文章に真剣に向き合ってきたと自己満足しています。わたし自身の文章は、後から読み返すと不出来のものが多く、顔から火が出ます。そのときは結構考えに考えて、真剣に書いていたのですが。次回も全身全霊、真剣に読み、そして書きます。

話はかわって、昨日、三月に頼んでいた本が、紆余曲折を経て、やっと手元に届きました。待たされた分、喜びは言いようもないほどです。思っていた以上にすばらしい本でした。
ただ、喜びは悲しみも伴うものかもしれません。
同じ日に喜んだ以上の悲しみもありました。
自分の思いが強すぎたのだと思います。
この感じ、デジャブ(既視感)。どこかで。
そうだ。オー・ヘンリーの「賢者の贈り物」だ。

もっとも賢明な行為はもっとも愚かです。逆だったでしょうか。

自分は正しい道を歩んだだろうか。こたえは自分では出せません。自分に甘く、人には厳しいですから。困難からすぐ逃げ出そうとしますから。
ただ、一つだけ心に刻んだことがあります。わたしのことをどう批難されてもかまわない。あなた方とともに築いた時間はわたしの宝物です。誰にもその宝物を批難する資格を、わたしは与えない。

わたしの偏狭な意固地さは、せっかくのすばらしい本を無用の長物としてしまいました。性懲りもなく浮き立とうとする心の重石にでもしておきます。

最終回が、皆さんのすばらしい旅立ちになりますように。

「豆の木」の魔法の珈琲豆2007年11月29日 10時15分02秒

わたしがよく豆を買いに行く珈琲屋さんです。
http://www.h4.dion.ne.jp/~mame/
前回の文章塾提出作品はここのお店で思いつきました。
あちらは創作ですが、実際のご主人と奥さんも、
とても素晴らしい方です。
今回の旨いものギフト、実はたいへんお世話になりました。

雪虫2007年10月25日 12時02分38秒

雪虫が飛ぶ
初雪が近いぞ
雪虫は飛ぶ
初雪は近いぞ
雪虫はとまる
雪は降るぞ
雪虫がとまる
雪が降る

ナナカマドの赤い実2007年10月22日 20時16分17秒

札幌はそろそろ晩秋の気配が漂ってきた。
中島公園の木々も色づいた葉と落ち葉が絶妙なコントラストをかもし出している。
ナナカマドの実は少しずつ赤い色を増す。
葉がすべて落ちるころには、真っ赤の実の向こうに白い雪が舞うのだろう。

ナナカマドとは七回かまどに入れて燃やしても灰になることがないといわれている。
薪にもならない、役立たずの木だ。
あの赤い実を鳥たちはめったに食べない。
よほどまずいのだろうか。
それでも食べるものが何もなくなる厳寒の2月から3月にかけて、いろいろな鳥がついばむことがある。

中島公園の横に、渡辺淳一文学館がある。
日経新聞に連載された「化身」を読んでいたころを思い出す。
昭和58年、就職と同時に広島という見知らぬ土地に赴任して、ようやく仕事にも人にもなれてきたころ。
夢ばかりたくさん持っていた。
あのときの挫折は、実になったのだろうか。

そんなことを思い出しながらふと見ると、貼ってあるポスターは「鈍感力」。
思わず苦笑いが出る。
今日ここに来たのは、ピアノの発表会を見に来たのだ。
19人の子供たちに混じって、私の三人の息子がピアノを弾く。
あきらめた夢の代償さ、とでもいえばその背景にあるものが文学的にもなるのだが、燃え上がることのない所詮はナナカマド。
ナナカマドの実は雑食のカラスも見向きはしない。
それでも、と思う。
厳寒の真っ白い冬に真っ赤な実が、死にかけた命を奮い立たせるのだ、と。